お笑いコンビ「さや香」のボケ担当・新山士彦(にいやまのりひこ)さん。
その独特なセンスとネタ作りの才能には、常に感心させられています。
そんな新山さんは、大阪教育大学を卒業されていますが、第一志望ではなかったといわれているのです。
その第一志望はどこだったのか、教員免許は持っているのか、気になる方が多いようです。
今回は、そんな新山さんがなぜ教育大学からお笑い芸人の道に進んだのか、そのユニークな経歴に迫ります。
最後までお付き合いくださいね!
さや香・新山は大阪教育大学に進学も教員免許は取得せず
さや香・新山さんは、大阪教育大学教育学部を卒業しています。
教育大学というと、真面目で教育に情熱を持った学生が集まるイメージですよね。
そこからお笑い芸人という道を選んだ新山さんの決断は、当時周囲の人々にも驚きを与えたことでしょう。
一部で「新山さんは教員免許を持っている」といった噂もありますが、これは誤解です。
新山さんは大学在学中の2011年、大学2年生の時にNSC(吉本総合芸能学院)大阪校の第34期生として入学し、お笑いの道に進むことを決意しました。
おそらくほとんどの学生が教員免許を取得するような大学ですが、新山さんは、教員免許に必要な教育実習などは行わず、最終的に教員免許は取得していません。
新山さんはNSCの入学金を自分で工面したことをあかしています。
「大学に行ったのにお笑いを目指すなんて…」と両親を失望させたくない気持ちがあったのでしょう。
そのため、NSCへの入学を「作家コース」と説明し、両親に隠していたエピソードもあります。
自分のやりたいことを貫くことが、どれだけ心苦しいか、私自身も大学時代に同じような葛藤があったので、新山さんの決断に深い共感を覚えます。
その後、新山さんは2014年に大阪教育大学を卒業し、同年に現在のコンビ「さや香」を結成しました。
教育大学出身でありながら、教員ではなく芸人として成功を収めたその経歴は、まさに新山さんのユニークな人生の選択を示していますよね!
さや香・新山の大学第一志望は神戸大学だった
実は、新山さんが進学した大阪教育大学は、彼の第一志望の大学ではありませんでした。
この事実を知った時、私は「人生って本当に予測できないものだな」と感じました。
新山さんは自身のSNSで、
「第一志望に落ちたけど、家計の都合で浪人できず、滑り止めの大学に進学した」
と語っています。
そこで気になるのは、新山さんの第一志望!
どこの大学だったか気になったので調べてみると、神戸大学だったようです。
神戸大学といえば、偏差値も55.0~67.5と高く、そこを目指す新山さんが優秀であったことがわかりますね。
どうしても諦めきれなければ、浪人して再チャレンジするという方法もありますが…。
新山さんは経済的な理由で第一志望をめざすことを断念したそうです。
大学進学の際、経済的な理由で進学先を決めざるを得なかった新山さんの気持ちに共感します。
私自身も、第一志望の大学に行けなかった経験があり、その時の落胆は今でも覚えています。
しかし、新山さんにとっては、この経験が新たな道を開くきっかけとなり、結果的にお笑いの世界に進むことに繋がったのですよね!
さや香・新山の出身中学は東大阪布施地区で野球部に所属
さや香・新山さんは、東大阪市布施地区の中学校に通っていたとされています。
新山さんは中学時代、野球部に所属しており、非常に熱心に野球に打ち込んでいたとのことです。
また、この頃からお笑いに興味を持ち始め、特にダウンタウンの松本人志さんに憧れ、書道の時間に「松本人志」と書いたエピソードも語られています。
私はこれを聞いたとき、「中学生で将来の目標があったんだな」と感心しました。
さや香・新山の出身高校、部活は?野球部エースだった!高校時代のエピソードは?
さや香・新山さんの出身高校は、大阪府立高津高等学校だといわれています。
部活は硬式野球部に所属していたという情報も。
エースピッチャーかつ4番バッターとして活躍していたという新山さん。
学業とスポーツを両立させることは非常に大変だったはずです。
また、高校の文化祭では漫才を披露し、この経験が後の芸人活動に繋がった可能性があります。
文化祭という特別な舞台で観客の笑いを取る喜びが、彼のお笑いへの情熱を一層強めたのでしょうね。
どんな漫才を披露したのか、みてみたいですよね!
動画とか、公開されてないかなぁ?
さや香・新山の経歴!コンビ名の由来は?
大学卒業後、新山さんはNSC大阪校に進学し、お笑いの世界で本格的に活動を開始しました。
同期からも高い評価を受け、彼のユニークな才能が際立っていたことがわかります。
その後、「パリ」「オリオン」といったコンビを経て、2014年に石井さんと「さや香」を結成します。
実は、初めてコンビを組んだ際、新山さんはツッコミ役だったのですが、次第にボケ役に挑戦したいと考え、石井さんもツッコミに転向したいという思いが一致し、ポジションチェンジを決断。
これが新しい挑戦への第一歩となり、今の「さや香」のスタイルが確立されました。
コンビ名の由来は「女性名のようなコンビ名にしたかった」という理由で、元・スーパーノヴァの橋本拓也さんが名付けたものです。
舞台では「男二人でさや香と言います」というセリフが、観客に親しまれています。
新山さんは「さや香」として、着実に成功を収めています。
2017年には「M-1グランプリ」決勝に初進出し、7位の成績を収め、2019年にはNHK上方漫才コンテストで優勝、2020年には「歌ネタ王決定戦」で優勝するなど、実力派コンビとして名を馳せています。
さらに、2022年にはM-1グランプリで準優勝という輝かしい成績を収め、その後のテレビ出演も増加。
新山さんのネタ作りはYouTubeでも公開されており、ファンから高い評価を受けています。
彼の鋭い発想力やネタの組み立て方により、独特のさや香ワールドが確立するのですよね。
新山さんが芸人を目指す決断をした際、ご両親は失望したと語っています。
特に父親は最初、教師にならなかったことをとても怒っていたようです。
前述したように、新山さんはこうなることが想像できたから、NSCへの入学を「作家コース」と説明していたんですものね。
しかし、息子の成功が実を結ぶにつれて、ご両親の態度も変化。
特に父親は、2017年の「M-1グランプリ」出場をきっかけにお笑いの道を応援し始め、現在では家族全体が新山さんをサポートしています。
親子の絆が深まったエピソードは、心温まるものがあります。
この経緯を知ったとき、私までホッとしてしまいました。
ちなみに、相方である、さや香・石井さんの大学についても調べてみると、石井さんには大学を言えない理由があるのだとか?
どういうことなのか、気になりますよね?
さや香石井さんの大学についての記事もありますので、チェックしてみてくださいね!

さや香・新山の教員免許なし大学生活と第一志望断念、出身中学・高校から芸人への道のまとめ
新山士彦さんの学歴と経歴は、まさに「人生は予測できない」ということを教えてくれた気がします。
教育大学からお笑い芸人へと進んだその道のりには、多くの葛藤と挑戦がありましたが、最終的にはその選択が大きな成功を生み出しました。
新山さんの経歴は、どんなに状況が不利であっても、自分の情熱に忠実に生きることで新たな道が開けることを示しています。
今後も「さや香」のさらなる活躍はもちろん、新山さん個人の成長にも注目していきたいと思います。
新山さんのネタや活動から、私たちは多くの勇気と笑顔をもらえることでしょう!
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