ニッポンの社長・辻、大学は野球推薦!出身高校から芸人までの学歴と経歴を紹介!

お笑いコンビ「ニッポンの社長」が、“二刀流”初代王者に輝きました!

今回は、コンビで独特の存在感を放つ辻さんに注目!

実は芸人になる前、学生時代は野球に打ち込むスポーツ青年だったことをご存じでしょうか?

高校では本格的に野球に励み、その実力を買われて大学にはなんと“野球推薦”で進学したという異色の経歴の持ち主なんです。

今回は、そんな辻さんの出身高校や大学などの学歴をはじめ、芸人としての道を歩み始めるまでの経歴を詳しくご紹介します!

ニッポンの社長・辻の知られざる学歴とプロフィールは?

まず、ニッポンの社長・辻さんの学歴について、お伝えします!

出身大学:花園大学
出身高校:京都府立鳥羽高校
出身中学校:京都市立藤森中学校
出身小学校:京都市立砂川小学校

お笑いコンビ「ニッポンの社長」でボケを担当している辻さんの本名は、辻 皓平(つじ こうへい)さん。

1986年11月15日生まれ、京都府京都市のご出身で、血液型はO型。

身長は183cmと、すらりとした長身が印象的な芸人さんです。

出身地の京都にはご実家もあり、家族構成は父・母・姉・弟の5人家族。

ご両親や兄弟も美男美女とのことで、なんとも華やかなご家庭ですね。
とくに印象的なのは、家族の仲の良さ。

辻さんのお母さまは、息子が芸人になることをすぐに応援してくれたそうで、今でも舞台を見に来てくれることもあるそうです。

そんなお母さんの存在が、辻さんの大きな支えになっているのかもしれません。

そして驚くべきは、弟さんが元中日のプロ野球選手、辻 孟彦さんということ。

スポーツ一家のようで、お姉さんの蓉子さんも子どものころから野球が大好きで、関西メディカルスポーツ学院を卒業後、夢だった野球トレーナーとしての道を歩んでいます。

現在はイタリア人と国際結婚され、イタリアに在住とのこと。

離れて暮らしていても、兄弟は今も仲良し。

テレビ電話で近況を伝え合ったり、姉ご家族が帰国した際には、辻さんが姪っ子や甥っ子と遊ぶ様子もあるそうで、家族の温かい絆が感じられます。

個人的にも、こうした家族とのエピソードから、辻さんの人柄の良さが伝わってきて、ますます応援したくなりました。

辻の大学は花園大学!野球推薦での入学エピソードとは?

辻さんの出身大学は、花園大学です。

偏差値は39〜46ほどで、京都にある歴史ある私立大学。

なんとそのルーツは1872年、京都の妙心寺境内に起源を持ち、150年以上の伝統を誇る由緒正しい大学なんです。

所属していた学部については明らかになっていませんが、辻さんは野球推薦で花園大学に進学したことが分かっており、そこから出身大学が特定されました。

さらに花園大学は、実はお笑い芸人の“隠れた名門校”ともいえる存在。

これまでにもミキの亜生さん、安田大サーカスのクロちゃん、チュートリアルの徳井義実さんなど、数々の人気芸人を輩出しています。

こうして見ると、辻さんも“芸人になる運命”のようなものを背負っていたのかもしれません。

野球を離れて音楽の世界へ?辻の知られざるエピソードに注目

辻さんは、野球推薦で大学に進学した後も、そのまま野球を続けていました。ですが、大学3年生か4年生の頃、気持ちの面で無気力になってしまい、野球を辞める決断をします。

スポーツに真剣に取り組んできたからこそ、その選択には迷いや葛藤もあったのではないでしょうか。

野球を離れた辻さんが次にハマったのが「音楽」でした。

大学では音楽サークルに入り、バンド活動をスタート。

ライブでは存在感を放ち、ライブハウス関係者の間でも一目置かれるほどだったそうです。

その頃は、音楽の道で生きていこうと真剣に考えていた時期もあったといいます。

でも、バンドのボーカルが大学卒業後に就職することになり、バンドは解散。

辻さんも音楽の道を諦めることになります。

個人的には、このエピソードから、辻さんが一つのことにとことん熱中できる人なんだな、と強く感じました。

野球も音楽も、全力で向き合ってきた経験が、今の唯一無二の芸風につながっているのかもしれませんね。

お笑い芸人を目指してNSCへ!辻の背中を押したのは母親だった

辻さんは、小学生のころから「将来はお笑い芸人になりたい」という夢を抱いていたそうです。

大学時代には、周りにいた“面白い友人”たちを誘って、一緒に芸人を目指そうと声をかけたこともあったそうですが、残念ながら誰にも断られてしまいます。

夢を諦めきれない一方で、現実的に就職活動も進めていた辻さん。

すでに不動産会社から内定ももらっていましたが、「このまま就職してしまったら、もうお笑いの道には進めなくなるかもしれない」と強く感じるようになります。

そこで思い切って、吉本総合芸能学院(NSC)のパンフレットをこっそり取り寄せてみたそうです。
「就職したら、もうお笑いできへんわ」――そんな思いで見つめたパンフレットを、偶然お母さんに見られてしまった辻さんは、反対されるだろうと覚悟していました。

ところが、お母さんから返ってきた言葉は、なんと「お笑い、好きやったもんな」という予想外のひと言。

その瞬間、「やってみよう」と覚悟が決まったといいます。
お母さんの優しい理解と後押しが、辻さんの背中をポンと押してくれたんですね。

こうして辻さんは、大学卒業後に就職せず、NSC大阪校の32期生として入学。再び大学の友人たちに声をかけたものの、誰からも返事はもらえず、たった一人でお笑いの世界への第一歩を踏み出しました。

個人的にも、このエピソードからは、辻さんの芯の強さと、お母さんの深い愛情がにじんでいて、胸が熱くなります。誰かと一緒じゃなくても、夢を信じて一歩踏み出せたその勇気、素直に尊敬します。

辻の高校は京都府立鳥羽高等学校!学生時代の様子とは?

辻さんの出身高校は、京都府立鳥羽高等学校。その中でも、スポーツ総合学科に在籍していた可能性が高いと言われています。

偏差値は45ほどで、京都市南区に位置するこの高校は、五重の塔で有名な東寺のすぐそばにある、歴史と落ち着きのある場所にあります。

辻さんはこの高校にも、スポーツ推薦で入学しており、当時から運動神経にはかなりの自信があったことがうかがえます。

また、鳥羽高校は意外にも芸能やスポーツの世界で活躍している卒業生が多く、お笑いコンビ・レギュラーの西川晃啓さんや、プロ野球選手・平野佳寿さんもこの学校の出身なんです。

そんな実績ある環境で、辻さんも青春時代を過ごしていたんだと思うと、高校時代の姿も少し想像できて、なんだか親近感がわきますね。

高校時代の野球エピソードから見える辻の意外な一面

辻さんは高校時代、京都府立鳥羽高校の軟式野球部に所属していました。

実はこの高校、軟式野球の強豪校として知られており、当時の辻さんもまさに野球漬けの毎日を送っていたそうです。

ただ、そんな中でも本人は

「野球部だったんですけど…ちょっと浮いてました(笑)自分でも向いてないなって思ってたんですけど、辞めたら何もなくなるのが怖かったのかな」

と語っていて、本音がにじみ出るような言葉が印象的です。

強豪校で野球部に所属していたことからも、もともとの運動神経は良かったことがうかがえますが、辻さん自身は“文化系の性格”だと感じていたそう。

おそらく、心のどこかで自分らしい表現の場を求めていたのかもしれませんね。

ちなみに、鳥羽高校の軟式野球部はたびたび甲子園にも出場している実績がありますが、辻さん自身は甲子園に出場した経験はなし。

また、同じ部のOBにはプロ野球選手としてオリックスやメジャーリーグで活躍した平野佳寿選手もいますが、辻さんより3学年上で在校期間は重なっていません。

そして、もうひとつ印象的だったのが「勉強」に対する後悔の気持ち。インタビューでは、

「やっぱり勉強ですね。全然真面目に勉強してなかったので後悔してます。特に国語、社会、英語はやっといたほうがいいですよ。大人になってから恥かきますからね」

と、率直に語っていました。

真面目に語るその言葉に、少しユーモアも感じつつ、辻さんの素直さや優しさが伝わってきて、私は思わずクスッとしながらも共感してしまいました。

高校文化祭での演劇経験が辻さんの原点に?

辻さんは高校時代、文化祭で出し物をすることになり、高2ではクラスで演劇を披露。

その演出を仕切る役を任されました。

しかし、用意されていたフリーの台本がどうしても面白くなかったため、辻さんはアドリブで“遊び”を加えることに。

なんと芝居の途中、舞台袖からバレーボールを投げ込み、それに誰もリアクションをせず芝居を続けるという型破りな演出を実行。

もちろん、先生が見ているときは真面目に台本通り稽古し、先生がいなくなるとバレーボールバージョンで練習していたそうです。

本番では、そんな演出が観客に大ウケ!リアクションしないままでも笑いが起きるほどだったとか。

終了後には、担任の先生に「ナメてんのか!」と激怒されたそうですが、辻さんは「その時の見てた生徒たちの反応は興奮しましたね」とそのときの手応えを語っています。

さらに高3の文化祭では、人数を変えながら複数のコントを披露。これもまた大盛り上がりだったそうで、「笑いって、舞台って面白いなぁ」と感じた原体験になったと話していました。

当時から『M-1グランプリ』が大好きで、録画して何度も繰り返し観ては大爆笑。そのたびに「どんだけ笑うねん!」と母親から怒られていたという微笑ましいエピソードも。

辻さんの笑いへの情熱と感覚の鋭さは、こんな高校時代からすでに光っていたんですね。

ニッポンの社長・辻、コンビ結成のきっかけと経歴は?

辻さんは大学卒業後、ピン芸人「辻クラシック」という芸名で活動していました。

しかし、次第にコンビでの活動を視野に入れはじめていたそうです。

そんなタイミングで声をかけてくれたのが、現在の相方・ケツさん。

NSCの1期後輩にあたるケツさんとの出会いが、すべての始まりでした。

コンビ結成の背中を押したのは、意外にも周囲の一言。

「あんな顔のやつはおらんぞ」

と勧められたことで、辻さんは決心し、2013年に「ニッポンの社長」を結成しました。

ユニークなコンビ名の由来にもセンスを感じます。

カッコよさよりも、ちょっとダサめで覚えやすい名前の方が飽きられない、という理由から。

そして何より、ケツさんの見た目が与沢翼さんに似ているという笑えるエピソードも。

ほかにも「先輩への挨拶のときに少しビビってもらえそうだから」といった理由まであるから、遊び心があって面白いですよね。

ちなみに、「焼肉」というコンビ名案もあったそうですが、こちらは周囲の猛反対により却下されたとか…!

そんな“ニッポンの社長”は、キングオブコントで2019年から2022年までの4年連続決勝進出という快挙を成し遂げ、2020年にはNHK新人お笑い大賞も受賞。

まさに実力派コンビとして注目を集める存在になりました。

最近ではテレビやラジオ出演も増え、YouTubeチャンネル「ニッポンの社長の思い出チャンネル」も好評。

関西・東京を中心に単独ライブやイベントを多数こなし、どの会場もチケット完売が続くほどの人気ぶりです。

ライブでは、圧倒的な表現力とセンスあふれるコントで観客を魅了し、着実にファン層を広げています。

ニッポンの社長・辻の学歴と経歴まとめ

辻さんは京都府出身で、京都府立鳥羽高等学校に進学し、軟式野球部で部活動に熱中していました。

強豪校で毎日を野球漬けに過ごしていたものの、本人いわく「向いていないと感じつつも、辞めるのが怖かった」と、葛藤を抱えていたそうです。

高校卒業後は花園大学に野球推薦で進学。

大学時代には野球を途中で辞め、音楽サークルでバンド活動を経験するなど表現の幅を広げます。

そして、卒業後は一度ピン芸人「辻クラシック」として活動しました。

その後、NSC大阪校でNSCの1期後輩・ケツさんに誘われ、2013年にコンビ「ニッポンの社長」を結成。

キングオブコントでは2019年〜2022年の4年連続決勝進出、さらに2020年にはNHK新人お笑い大賞を受賞するなど、着実に実力を発揮してきました。

現在もテレビ・ラジオ・YouTube・ライブと多方面で活躍中。

野球部で培った粘り強さと、音楽や演劇で養った表現力を活かし、彼ならではの笑いを届けてくれる姿に、私はとても魅力を感じています。

これからも、自分だけの世界観で見る人の心に響くコントを届けてくれることを、心から楽しみにしています!

 

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