ニッポンの社長ケツさんの出身は?近畿大学附属高校から近畿大学へ!

お笑いコンビ「ニッポンの社長」のケツさんは、最近『ダブルインパクト』で初代王者という快挙を成し遂げ、その実力の高さにあらためて注目が集まっています。

私自身、ネタを見て思わず声を出して笑ってしまったほど、ツッコミの間合いや言葉選びが絶妙で、ケツさんのセンスに圧倒されました。

そんなケツさんの出身校は、近畿大学附属高校、そして近畿大学。

関西のお笑い芸人の中でも、しっかりとした学歴を持ちながら、着実に実力を積み重ねてきた姿には、尊敬の念を抱かずにいられません。

この記事では、ケツさんの出身校や学生時代のエピソード、そして最新の活躍までをまとめてご紹介していきます。

ニッポンの社長ケツの学歴に注目!近畿大学までの歩みとは?

出身大学:近畿大学

出身高校:近畿大学附属高校

出身中学校:生駒市立光明中学校

出身小学校:生駒市立生駒台小学校

こうして見てみると、ケツさんは生まれ育った奈良・生駒の地で、着実に学びを重ねてきたことがわかります。中学から高校、大学まで一貫して地元関西の学校に通い、芸人としての土台を築いていったんですね。

特に近畿大学附属高校から近畿大学というルートは、文武両道なイメージもあり、しっかりとした学歴を持ちながらお笑いの世界で活躍しているケツさんに、ますます親近感と尊敬の気持ちを抱きました。

地元愛や人柄の良さも、この生駒での学生時代が育んだものかもしれません。

そんなケツさんが、今や『ダブルインパクト』での優勝を果たすほどの実力派芸人へと成長したことに、心から拍手を送りたくなります。

ケツの本名や芸名の由来とは?プロフィールもあわせてチェック!

ニッポンの社長・ケツさんの本名は、西原大地(にしはら だいち)さん。

まさかのイケメンネームにちょっと驚きました!

芸人として活動を始めたばかりの頃は、旧姓の「唐金大地」という名前で活動していたそうですが、お母さんの再婚をきっかけに現在の姓に変わったとのことです。

そして芸名「ケツ」の由来はというと…なんと「顔がケツみたいだから」だそうです!最初は「ケツって、あのケツ!?」とちょっと戸惑いましたが、まさか本当にそのままだったとは(笑)。

実はこのあだ名、相方の辻さんが呼び始めたのがきっかけで、当時は「エビ」という候補もあったんだとか。結果的に“ケツ”が選ばれたというセンス、強烈すぎて忘れられません!

プロフィール

本名:西原大地(にしはらだいち)

生年月日:1990年6月11日

身長:162cm

体重:73kg

血液型:O型

出身地:奈良県 生駒市

趣味:野球/料理/飲酒(ビール、日本酒)

特技:ギター(学生時代は軽音楽部)

ニッポンの社長・ケツさんの趣味は、なんと「料理」

しかも、ただの趣味ではなく、出汁の取り方にまでこだわる本格派で、特に和食が得意なんだそうです。料理好きとしては、そんな話を聞いただけで一気に親近感が湧いてしまいました。さらに、食事と一緒に楽しむお酒――特に日本酒やビールにも強いこだわりがあり、飲みながら食を楽しむスタイルがケツさん流。食への探究心、さすがです!

また、ギター演奏も趣味のひとつ。YouTubeでは「チェリー大作戦」の宗安聖さんとのコラボ動画も公開されていて、ケツさんがギター、宗安さんがカスタネットという異色の組み合わせで「日曜日よりの使者」を演奏していました。まさかそんな多才な一面があるなんて…見ていてなんだかほっこりしました。

さらに意外(?)だったのが、「ちいかわ」の大ファンという一面!

中でも“うさぎ”推しとのことで、ご当地キーホルダーを集めたり、所狭しと並べたグッズを自宅に飾っていたり…その愛がX(旧Twitter)にもあふれていました。芸人としての顔だけじゃない、こういうギャップがたまらなく魅力的ですよね。

ニッポンの社長ケツ 出身小学校:生駒市立生駒台小学校

ニッポンの社長・ケツさんの出身小学校は、奈良県生駒市にある「生駒市立生駒台小学校」。

ご家族はご両親と弟の4人家族でしたが、ケツさんが20歳の頃にご両親は離婚されています。

幼少期は、共働きのご両親のもとで育ち、特にお母さんは工場の事務所で働いていたそう。忙しい日々の中でも、家庭の温かさや賑やかさが伝わってくるようなエピソードがたくさんあります。

ケツさんは少年野球チームに入っており、今でも特技として「野球」を挙げるほど。

その頃の経験が、芸人としての瞬発力や運動神経にも活かされているのかもしれませんね。

小学生時代、お母さんがたまたまなんばグランド花月のチケットをもらい、一緒に初めてお笑いライブを観に行ったそうです。

舞台で披露されたチュートリアルやブラックマヨネーズのネタに大笑いし、「お笑いってすごい!」と感じた経験が、のちのお笑い人生の原点になったのかもしれません。

また、小学3〜4年生の頃には仲の良い友達と「出し物をする会」でコントごっこをしていたというエピソードも。すでにその頃から、人を笑わせることが大好きだったんだなぁと感じて、なんだか微笑ましくなりました。

そんな中でも個人的にツボだったのが、近所の駄菓子屋さんで値切ろうとしたエピソード(笑)。店のおばあちゃんに「これ以上値下げしたら利益がなくなるから舐めんな!」と本気で怒られたという話には思わず吹き出してしまいました。

今のケツさんのユーモアのルーツは、こういった経験の積み重ねにもあるのかもしれませんね。

ニッポンの社長ケツ 出身中学校:奈良県生駒市立光明中学校

ニッポンの社長・ケツさんの出身中学校は、奈良県生駒市にある公立校「生駒市立光明中学校」です。

中学時代は部活動には所属していなかったようですが、家庭の事情もあり、少し複雑な思春期を過ごしていたことがうかがえます。

実は、ケツさんはこの3年間、お父さんと一度も会話をしなかったそう。それを聞いて、当時の家庭の空気を想像すると胸がぎゅっとなります。

でも一方で、お母さんとはとても仲が良く、一緒に買い物に出かけたり、家事を手伝ったり、ライブに行くこともあったとのこと。その親子関係のあたたかさにはホッとしました。

家庭内の空気が不穏になり始めた中学時代、ケツさんの心に強く残ったのが「M-1グランプリ」。中でも、笑い飯が披露した奈良県をテーマにしたネタに衝撃を受け、「漫才ってかっこいい!」と強く感じたそうです。

なんとファンレターまで送ったことがあるんだとか!

きっと当時のケツさんにとって、お笑いは笑えるだけじゃなく、心の支えにもなっていたのかもしれません。

そんな体験を通して、ケツさんはこの頃から「お笑い芸人になりたい」という夢を意識し始めたんですね。憧れがいつか現実になって、今こうしてテレビで活躍している姿を見ると、なんだか感慨深くなります。

ニッポンの社長ケツ 出身高校:大阪府近畿大学附属高校

ニッポンの社長・ケツさんは、私立の共学校である「近畿大学附属高校」に進学しました。

偏差値は63〜71と難関で、勉強は決して苦手ではなかったようです。

1939年開校のこの高校は、近畿大学の系列校として知られ、部活動も盛ん。かつては商業科や機械科、電気科などがありましたが、現在は普通科のみの進学校となっています。

ケツさんがそのまま近畿大学へと進学していることから、進学コースに在籍していた可能性が高そうですね。

高校時代のケツさんは、軽音部に入部するも、半年ほどで退部。

その後は自宅でギターを弾いたり、友達とちょっとしたバンド活動をしていたそうです。インタビューでは「家でギターを触ってた」と語っていますが、相方の辻さんには「家でギターを触ってて、あの技術はないな(笑)」といじられる場面も。そんなやり取りも、ふたりの関係性が垣間見えて微笑ましいです。

当時はお笑い芸人になりたい気持ちもあったものの、それ以上にギターに夢中だった時期で、音楽に進みたいという気持ちが強かったんだとか。ですが、お笑いへの想いが完全に消えたわけではなく、漫才の真似をしてネタを書いては、お母さんに見せていたというエピソードも残っています。お笑いに対する憧れが、少しずつ形になりはじめた時期だったのかもしれません。

また、高校2・3年生の頃は、やんちゃなクラスに入ってしまい、「いじめられといじめの境目になってしまった…。」と話しており、あまり楽しい思い出ばかりではなかったようです。こういった複雑な青春時代を過ごしていたことにも、ぐっと胸を打たれます。

そんな中でも、ずっと片思いをしていた同級生との初デートという甘酸っぱいエピソードも。小学校6年生から想い続けた相手と高校3年生のときにようやく初めてのデートができたものの、受験勉強が理由でお別れすることになったそうです。なんだか切なくて、でもとても純粋な気持ちにキュンとしますね。

高校時代には、お笑いへの夢を同級生に打ち明けてコンビ結成を持ちかけたこともあったそうですが、即座に断られてしまったとか…。

当時のケツさんは、芸人への道に踏み出す勇気がなかなか持てず、「NSCには友達同士で入るものだと思っていて、1人で入るのはリアリティーがなく、大学に進学しました。」と語り、まずは大学へと進学する道を選びました。

振り返ってみると、笑いあり、葛藤あり、ちょっぴり切ない恋ありの高校時代。そんな多感な時期を経て、いま芸人としての道を歩んでいるケツさんの姿には、どこか強さと優しさの両方を感じます。

ニッポンの社長ケツの出身大学:近畿大学

ニッポンの社長・ケツさんは、私立の近畿大学へ進学しました。

近畿大学といえば、「人に愛される人」「信頼される人」「尊敬される人」を育てることを教育の理念に掲げている学校で、偏差値は学部によって37.5~65と幅広く、全国的にも人気のある大学です。

ケツさんは系列の高校に通っていたため、一般受験ではなく内部進学で大学へ進んだようです。

ただ、在籍していた学部や学科の詳細については公表されていません。

大学入学当初はバンド活動に熱中していたそうで、音楽に打ち込む学生生活を送っていた様子がうかがえます。しかし、高校時代からお笑い芸人への憧れを抱いていたケツさん。

大学1年の終わりごろ、母親から「就活が始まったら、もうお笑いやりたくてもできひんよ。NSCに行くんやったら今ちゃうか?」と背中を押され、お笑いの道を真剣に考えるようになります。

さらに、一緒にバンドを組んでいた友人からも「興味があるならお笑いやった方がええで」と勧められたことがきっかけとなり、ケツさんはお笑い芸人を目指すことを決意。

2010年、大学2年生のときに吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の33期生として入学しました。

入学時には友人や弟を誘ってみたものの、誰も一緒には来てくれず、最終的には1人でNSCに飛び込んだそう。その行動力と覚悟、すごいですよね。

なお、大学3年のときに留年を経験していることを自身のX(旧Twitter)で明かしています。

お笑いに力を入れるあまり、学業との両立が難しくなってしまったのかもしれません。それでも最終的にはきちんと卒業されたようで、本当に頑張り屋さんだなと感じました。

ちなみに、ケツさんのNSC同期には、霜降り明星やコロコロチキチキペッパーズ、紅しょうがの稲田美紀さんなど、現在大活躍中の芸人たちが名を連ねています。

そんな中で切磋琢磨してきた経験が、今のお笑いスタイルにもつながっているのかもしれませんね。

ニッポンの社長誕生!コンビ結成のきっかけに迫る

ニッポンの社長・ケツさんは、大学卒業後に本格的にお笑いの道へ進み、23歳だった2013年に、4歳年上の辻さんを誘ってコンビを結成しました。

実は辻さんはNSC(吉本総合芸能学院)では1期上の先輩。

当時の辻さんはすでに芸人として活動していて、他の人からもコンビを組もうと声をかけられていたそうです。

そんな中、ケツさんの“顔が面白かった”ことが決め手になって、コンビを組むことに。まさかの理由ですが(笑)、ケツさんの顔のおかげで、今の「ニッポンの社長」があると思うと感慨深いです。

ちなみにコンビ名の由来は、「カッコいい名前よりもダサい名前の方が飽きないと思った」こと、そして「ケツさんの見た目が“与沢翼さん”に似ていたから」だそう。なんともユニークな命名エピソードですよね。

そんなふたりは、2020年に『キングオブコント』の決勝に進出。

バラエティ番組への出演も増え、YouTubeチャンネル『ニッポンの社長の思い出チャンネル』も好評を博しています。
そしてついに、2025年7月には『ダブルインパクト』の初代王者に輝くという快挙を達成!

結成から約12年、確実にステップアップしてきたふたりの歩みに、これからも目が離せません。

相方の辻さんの記事もチェックしてみてくださいね↓↓

>>ニッポンの社長・辻、大学は野球推薦!出身高校から芸人までの学歴と経歴を紹介!

ニッポンの社長ケツの学歴・経歴まとめ

ニッポンの社長・ケツさんは、奈良県生駒市出身。

小学校は生駒市立生駒台小学校、中学校は生駒市立光明中学校を卒業されています。

中学時代は部活動には入っておらず、家庭の雰囲気もどこか不穏な中で過ごしていたそうです。

そんな時にテレビで見た「M-1グランプリ」で披露された笑い飯の奈良ネタに衝撃を受け、「漫才ってかっこいい!」と心を掴まれたといいます。その体験が、後に芸人を志す大きなきっかけになったようです。

高校は近畿大学附属高校に進学し、その後は近畿大学に進学。

大学在学中に母親や友人の後押しもあり、2010年に大学2年生の時に吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に入学し、お笑いの道へ本格的に進み始めました。

相方の辻さんとはNSC(吉本総合芸能学院)で出会い、2013年にコンビ「ニッポンの社長」を結成。

その後、2020年には「キングオブコント」決勝に進出、2025年には「ダブルインパクト」で初代王者に。

着実にキャリアを積み重ねながら、お笑い界で存在感を放ち続けています。

さらに、2025年7月には自身のSNSで結婚を発表。

仕事もプライベートも絶好調のケツさんの今後が、本当に楽しみです!

これからもたくさんの笑いを届けてくれることを期待しています。

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