鋭いツッコミと独自のワードセンスで人気急上昇中のお笑いコンビ「東京ホテイソン」。そのツッコミ担当・ショーゴさんは、実は異色の経歴を持つ芸人としても注目を集めています。
今回は、そんなショーゴさんの知られざる学歴から芸人としてのターニングポイントとなったNSC退学の真相まで、一気にご紹介します!
東京ホテイソン・ショーゴの幼少期・小学校:山﨑賢人との関係が明らかに!
東京ホテイソンのショーゴさんは、東京都板橋区の出身。
実は鹿児島県で生まれたそうで、お母さんの里帰り出産だったんだとか。
出生時の体重は2100gとかなり小さく、幼稚園の頃は体格の小ささが原因でいじめを受けていたそうです。
ある日、お弁当のミートボールを取られてしまい、ショーゴさんは悲しくなって、ふと“これを作ってくれたお母さん”の顔を思い出します。
そしてその瞬間、怒りが爆発。なんと椅子を投げて、いじめっ子に反撃したんです!
この出来事をきっかけに、いじめはピタリとなくなったそう。
お母さんのことを思って立ち向かう姿勢に、強さと優しさを感じますよね。
小学校2、3年生からは地元のサッカークラブに入団。
なんと、あの俳優・山﨑賢人さんと同じチームだったそうです!
当時は一緒に練習したり、ボールを蹴ったり、休憩中にお茶を飲んだりしていたそうで、思い出話を誇らしげに語っていました。
さらに、ショーゴさんは小学5年生のときに、バレンタインにチョコを24個ももらったというモテモテエピソードも。
笑いのセンスだけじゃなく、当時から人気者だったことがうかがえます。
そんなショーゴさんが芸人という道を意識しはじめたのは、小学生の頃。
テレビでM-1グランプリを観て、「漫才ってカッコいい!」と感じたことがきっかけだったそうです。
小さなころから、その才能と感性が育っていたんですね。
東京ホテイソン・ショーゴの中学校:コンプレックスと反抗期エピソード!
東京ホテイソン・ショーゴさんの出身中学校は、板橋区立赤塚第三中学校です。
中学時代も引き続きサッカーを続けていて、部活ではサッカー部に所属していました。
ただ、本気で競技として取り組んでいたというよりは、小学生の頃のクラブ活動と同じように「趣味の延長」で楽しんでいたそうです。
サッカーの実力は「中の中」との自己評価。
センスはあると周りに言われていたそうですが、体が小さかったために試合に出られる機会は少なく体格差で当たり負けしてしまうことがコンプレックスになっていたそうです。
でも、そこからの行動力がすごいんです!
なんと中学生にして筋トレを始め、体を鍛えるようになります。
「やればやっただけ見返りが来る。それが筋トレです。受験だってM-1だって、どれだけ頑張っても落ちるときは落ちるじゃないですか。筋肉だけは、絶対に付くんで。」
という言葉には、ショーゴさんらしい理屈と情熱がにじんでいて、妙に説得力がありますよね。
そして中学3年生の頃、ショーゴさんは「無痛病キャラ」を演じていたという伝説のような厨二病エピソードも!
「自分は痛みを感じない人間なんだ」という設定で、なんと3ヶ月間過ごしたそうです。
さらに、「学校に行かないのがカッコいい」と思い込んで、午前中はお腹が痛いと嘘をついて休み、お昼前に登校。
そして給食の時間になると、クラスのみんなの冷凍みかんを30個も集めて机の上に並べ、それが溶けていくのをじっと見ていたという、まさに“尖りまくり”なエピソードも。
ここまでくると「ちょっと変わった中学生」なんて言葉では足りないほどのインパクトですよね。
でも、こうした独特のキャラクターや感性が、今の芸人・ショーゴさんの土台になっているのかもしれませんね。
中学時代から、すでに“ショーゴワールド”は始まっていたんだなと感じさせられました。
東京ホテイソン・ショーゴの高校、偏差値:モテ期と「日陰者」!?
ホテイソン・ショーゴさんの出身高校は、東京都立高島高等学校。
偏差値は51と、一般的な公立高校です。
そんな中で、なんとショーゴさんは「めちゃくちゃモテていた」とのこと!
隣のクラスの女子たちが、彼を見に来るほどの人気ぶりだったそうで、当時を振り返って「メールアドレスのバーゲンセールだった」と冗談まじりに話しています。
特に印象的だったのが、一斉模試のときのエピソード。
隣に座った女子が落とした消しゴムをショーゴさんが拾ってあげたことをきっかけに、その子の制服から高校名を特定。
友達を通じてその女子と連絡を取り、なんと最終的に付き合うことに!
行動力というか…もはや執念すら感じます!
でも、そんなモテエピソードとは裏腹に、ショーゴさん自身は「高校時代は陰キャだった」と語っています。
友達も少なく、教室の隅にいるようなタイプだったそうで、
「学生時代は、あまりいい思い出はありません。クラスで日陰にいるようなタイプだったので」
と振り返っています。学校生活が特別楽しかったわけではなかったようですね。
もともとはお笑い芸人ではなく、放送作家を目指していたショーゴさん。
しかし、高校1年生のときに見た『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』のフリートークに衝撃を受け、「こんな風に人を笑わせたい!」と芸人を目指すようになります。
今でこそ堂々とツッコミを入れ、笑いを生み出すショーゴさんですが、学生時代は意外にも“日陰タイプ”だったなんて驚きです。
でも、そのギャップこそが、今の彼の魅力にもつながっている気がします。
東京ホテイソン・ショーゴの芸人への道:波乱のスタートと相方たけるとの出会い
高校卒業後、ショーゴさんは「海外に留学したい」という夢を抱いていたそうです。
しかしその夢は叶わず、大学への進学もせずに2014年、NSC(吉本総合芸能学院)東京校の20期生としてお笑いの世界に飛び込みます。
ただ、ここで早くも大きな転機が訪れます。
なんと入校からわずか1ヶ月でNSCを中退してしまうのです。
その理由が、先輩芸人との喧嘩。
今でこそ冷静なツッコミで知られるショーゴさんですが、当時はかなり尖っていたようで、「自分以外、全員敵だと思っていた」と振り返っています。
ここまで潔く辞めてしまうなんて、良くも悪くもブレない性格が垣間見えますよね。
しかも、NSCの学費は両親に出してもらっていたそうで、中退したことは言い出せず、なんと秘密のまま。
現在の相方・たけるさんとはNSCで出会ったことにしていたという裏話まであります。
でも、普通なら挫折で止まってしまいそうなところを、そこで終わらせないのがショーゴさんのすごいところですよね。
彼は自分で動くことを選びます。
「自分は根暗で、テンション高くできるタイプじゃない。だから相方は明るい人がいい」
そんな考えから、SNSで相方を探すことにします。
たどり着いたのは、お笑い芸人の相方募集掲示板。
2015年、そこに投稿されていたのが現在の相方・たけるさんの動画でした。
たけるさんの投稿には「天下をとりましょう!」という力強いメッセージと、初舞台でのネタ動画が添えられていました。
その動画を見たショーゴさんは、「初舞台でこれだけ喋れるやつはなかなかいない」と直感。
すぐに連絡を取り、実際に会って、コンビを組むことになります。
2人が初めて会ったのは、新宿駅の東口。
そこでショーゴさんが見た、たけるさんの第一印象は、まさかの「ただの大学生」。
ヘッドホンをつけてチュッパチャプスを舐めながら立っていたたけるさんを見て、「うわ、ヤバいの来た…」と思ったそうです。
確かに、なかなかインパクトのある登場ですよね。
当時のたけるさんはいわゆる“陽キャ”タイプ。
一方のショーゴさんは、”陰キャ”タイプ。
たけるさんは、ショーゴさんのことを「人の目を見てしゃべらないやつだと思った」と話しています。
正反対の2人がどうしてコンビを組んだのか不思議にも思えますが、ショーゴさんはたけるさんの「顔」で決めたとも語っています。「
自分の顔がちょっと怖い感じだから、華のある明るいタイプを横に置いたほうがバランスが取れると思った」とのこと。
お笑いとしての“絵面”まで考えていたのは、さすがですね。
コンビ名「東京ホテイソン」は、たけるさんが命名しました。
「ホテイソン」は笑いの神様・布袋様から取り、「東京」は岡山出身のたけるさんにとって“かっこいい響き”だったから。
お互いのキャラや背景を組み合わせた、ユニークで印象的な名前になりました。
その後は、ショーゴさんが書くネタに魅了されたたけるさんの行動力で、どんどんライブに出演。
とにかく数をこなして場数を踏み、実力を磨いていきました。
地道な努力とコンビの相性が少しずつ結果を生み、今では実力派として広く知られる存在に。
まさかのNSC中退というスタートから、ここまで自分の足で道を切り拓いていくショーゴさん、本当にすごいです。
周りを信用できないほど尖っていた青年が、自分にないものを持った相方を見つけて一緒に天下を目指す!まさに“ドラマのような実話”ですよね。
そんな相方・たけるさんの高校時代が、またヤバいのだとか!?
モテ伝説があるんだそうですよ。
気になる方は、こちらの記事をチェックしてみてくださいね↓↓

東京ホテイソン・ショーゴの学歴と経歴まとめ
東京ホテイソンのショーゴさんは、東京都板橋区出身。生まれは鹿児島県で、2100gという小さな体でこの世に誕生しました。体が小さかった幼少期は、いじめを受けたこともありましたが、お母さんの作ってくれたお弁当を守ろうと立ち上がったエピソードには、心を打たれます。
小学校ではサッカーを始め、なんと俳優・山﨑賢人さんと同じチームに所属していたという驚きのエピソードも!当時からモテモテで、バレンタインにはチョコを24個ももらったそうです。
中学は板橋区立赤塚第三中学校。サッカー部に所属するも体格差に悩み、そこから筋トレを始めるという努力家な一面も。その一方で、無痛病キャラを演じたり、冷凍みかんを30個盗んで並べるといった“中二病全開”の尖ったエピソードも残しています。今の芸人としての土台が、この頃にすでにできあがっていたのかもしれませんね。
高校は東京都立高島高等学校。ここでも陰キャだったと本人は語っていますが、周囲からはモテモテだったようで、他校の女子に声をかけるほどの行動力も見せています。「放送作家になりたい」と思っていた彼が、『ガキの使い』のフリートークを見て芸人になることを決意します。
高校卒業後はNSCに入学。しかし、わずか1ヶ月で中退。その理由は、先輩との喧嘩。「尖っていた」と語るその当時、すべての人を敵だと思っていたショーゴさんですが、辞めてもなお夢を諦めず、SNSで相方を探すという行動力には驚かされました。
そして2015年、相方・たけるさんとの出会い。正反対の“陽キャ”と“陰キャ”のコンビが誕生します。たけるさんの動画に惚れ込み、自分にはない華やかさを持つ彼を選んだショーゴさん。こうして「東京ホテイソン」が結成され、ライブを重ねて実力をつけ、ついにはM-1決勝の舞台にも立つような人気コンビへと成長していきました。
尖っていた過去も、目を見て話せなかった高校時代も、全部が今のショーゴさんにつながっている。どんなに遠回りしても、夢を諦めずに進んできたからこそ、今の活躍があるんですよね。
これからもその冷静なツッコミと、どこか人間味のある言葉選びで、もっとたくさんの人を笑わせてくれるはず。東京ホテイソン・ショーゴさんのこれからのさらなる飛躍に、大いに期待しています!
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